株式会社サンテテクニカ

代表メッセージ

一人でも多くの方に本物をお届けしたい。
若山と私の共通認識でした。

創業者若山利文が、この世を去って早3年の月日が経ちました。
コロナ渦真っただ中の急逝。
死因も何もかもが納得できるものではありませんでしたが、人には寿命と言うものが有って、どんなに科学が進んでも、それだけはいかんともしがたい事で、人間に平等に与えられているのは死なのだと悟りました。
そして、常日頃若山が言っていたピンピンコロリを体現して天寿を全うしたと理解するしかありませんでした。
病床で最後に、私にはあなたと言う後継者がいることが一番の幸せであるとまで言って頂き、あなたなら必ずやり抜くことが出来るとまで励ましのお言葉を頂きました。
斯くして、サンテテクニカのかじ取りを任され、船出した訳ですが、コロナ渦のため、若山先生のお別れ会を催すことも出来ず、若山先生ならではの大きな仕掛けや、社会に大きな石を投げることなど、私には到底できないテーマが沢山あり、大きな企画は全て中断して、今一度原点にかえり、水素サプリメントのレベルアップと、私ならではの水素をテーマとした化粧品の開発に注力して取り組むことにしました。
漸く、その開発にめどが付き、新たな一歩が踏み出せるという確信が持てましたので、若山が麻布台にオフィスを構えてから20年以上が経ちましたが、心機一転、浜松町に移転をする決意をいたしました。

思い起こせば、今から35年以上前より、南米ブラジルと貿易を始めて、アマゾンに生育する薬草の虜になり、プロポリスを日本に紹介して健康食品の分野に進出し、キャッツクロ―、マカ、アガリクスを手掛けて、イチョウ葉、明日葉、桑葉の健康食品を次々と世に出してきました。
若山との出会いは、故渥美和彦先生が立ち上げられた統合医療学会で、時は統合医療幕開けの時代でした。故渥美先生より、女性の感性で統合医療の啓蒙啓発に取り組むことを勧められて、社団法人統合医療推進市民機構を立ち上げて、地球と人間の健康をテーマに社会貢献事業にのめり込んでいきました。若山からは、再三水素事業に参画して欲しいと言われておりましたが、自社工場を立ち上げ、独自の自然化粧品の製造に取り組んでおりました。
15年前に若山と再会し、水素は統合医療の究極のソリューションであると改めて気付き、若山と二人三脚で水素の普及啓発活動に取り組む決意をしました。

作り続けて来た健康食品、化粧品が、多くの人に受け入れられ、皆様の健康に寄与してきたことを誇りに思い、一人でも多くの方に本物をお届けしたいという想いは、若山と私の共通認識でした。
これからも水素を中心に、皆様に喜んでいただける健康食品、化粧品をお届けしたいと思っております。

浜松町の事務所は1階で道路に面して明るい場所です。
水素吸引体験を一人でも多くの方に試して頂き、
水素美容も独自の施術で体験して頂けるように整備して行く所存です。

代表取締役社長
四⻆恒世